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猫と私と日々のこと 。小さな幸せを見つけ、感謝を忘れずに日々を送りたい。

12年前突然パニック障害に

それは12年前。ある日突然、予告も前兆もなく起きてしまった。


通勤電車の中だった。


血の気が引いて、手足が震え、めまい、動機、発汗、息が出来ない、死んでしまうかと思う程苦しかった。


パニック発作との戦いの始まりの日だった。


次の日も、その次の日も同じ状態になる。

電車を降りると平気になる。仕事に支障もない。

何なんだろう……。不安になり内科に行った。診断はどこにも異常がなく、心療内科を受診するようにと言われた。


医者の言う事ちゃんと聞いて、しっかり休養して治療に専念すれば良かった…。


心身ともに疲れてますよ。

ストレス溜め込んでますよ。

少し休養しましょう。


心療内科の医者に言われても休まなかった。パニック障害に対しての知識は何もなく軽く考えていたのかもしれない。健康には自信があり病気には無縁の生活だった。


確かに忙しかった。毎日追われるような日々。朝から夜まで動き通し。休みの日は買い出しや、日頃出来ない家事に追われる。

でも、それが苦では無かった。ストレスも全く感じていなかった。と言うより感じる暇さえ無かったのかもしれない。


夫は帰宅が遅くなる事が多く、娘達と夕飯の時間が合わない。作り置きは嫌がり買ってきた物は絶対に食べない人で手がかかった。

それに、家事は全く手伝う事をしない。

今思えば、ここに1番のストレスがあったのかもしれない。


発作起こしながら無理して、無理して仕事に行って………。結果的にこじらせてしまった。


ある日、ホームに到着した電車のドアの前で足がガクガクと震え、涙も溢れて、人目も気にせず泣き崩れてしまった。


もうこれ以上は無理………。


もう頑張れない……。


1番やりたくなかったのに上司に電話して退職させてもらった。休職の選択は全く無かった。もう2度と電車に乗るのは嫌だった。

ホームに飛び込みそうになっている自分が怖かった。


その日の事は今も鮮明に覚えている。


突然の退職に二人の娘達も心配したと思う。

病気の事は詳しくは言えなかった……。

心配掛けたくない、強い母で居たかった。二人の前では明るく振る舞った。


食欲は全く無くなり、水さえも喉を通らなくなっていた。げっそりしてしまい夜は死んだように眠った。家事は手を抜くことなくやった。こんな状態でも頑張っている自分が可哀想で独り泣いてばかりいた。

当時住んでいたのはマンションの4階。

ベランダに出る事をやめていた。衝動的に何かするのが怖かった。4階ごときでは死ねない……と冷静になっている自分も居た。


そんな状態でもバレーの練習だけは休む事なく続けられていた。ボールを触ると無性にホッとして練習後は少し調子が良くなっている。


夫は「無理するなよ」と優しい言葉は掛けてくれたけど、他は何もしてくれなかった。何をしたらいいのかわからなかったのかもしれない。


元の自分には戻れない。そんな気がして悲しかった。

でも、娘達の為にもくよくよしてはいられない。


焦らずに少しずつ日常を取り戻し、それと同時に元気も出てきた。


出来ない事が増えて悔やむより、出来る事を楽しもうと前向きにパニック障害と付き合ってきた。


でも、12年経った今でも電車が無理。

各停なら何とか乗れるけど都心には行きたくない。新幹線や飛行機なんて自殺行為だと思ってしまう。

こんなんじゃ実家のある長崎にも帰れない。年老いてきた両親の様子を見たくても行けない。親不孝者だと思う。


10年間飲み続けた薬は少しづつ減らしながら断薬した。苦手な事はまだまだ沢山あったけど、薬を飲まない日常が嬉しかった。



ただ、この病気に完治はあるのだろうか……と考えてしまう。

あの苦しみと辛さを脳が覚えている限り、勇気を出してもう一歩が踏み出せない自分が情けない……。




そして断薬から数ヵ月後、喜びもつかの間の出来事が起きてしまうのです……。


長くなったのでのまたの機会に書きます。



ピンクパンサー


元気に咲いて楽しませてくれてありがとう🎵